インドの旅報告 〈2015年10月14日~11月1日〉 Y・I・K木暮
1章、インドの真価を知る
2章、瞑想を学ぶたび。瞑想に始まり瞑想に終わる、生きる意味そのもの。
3章、「魂」や「こころ」がある意味。
【1】ベルルの僧院、ヴェーダーンタ協会の本部を訪ねて。西インド、バナラシそしてコルカタへ。
始めて訪ねたラーマ・クリシュナミッション。
1、インドの霊性の華、ラーマ・クリシュナのもとに多くの若者たちが集った。彼らの真理探究への強烈な願いと師ラーマ・クリシュナへの熱烈な帰依が、師なき後、ヴィヴェーカナンダを中心に弟子達のこころを一つに結びつけました。師の祝福により与えられた啓示を拠り所とし、出家者として生きる道を選択した弟子たちの揺るぎない修行がはじまりました。「ベルルの僧院」にて、「ラーマ・クリシュナ僧院」はこうして始まったのです。
その時から、百年以上の月日が経過。ですがこの地には確かに存在しています。たった今も。何がでしょうか。ラーマ・クリシュナの霊的波動、魂がこの地のいたる所に存在し、大気がその思いに振動し続けている。足元の踏む石や砂粒の一つ一つにも、ラーマ・クリシュナの切ないまでの究極の真理に至ろうとするねがいと愛が浸みわたる。はだしの足裏から、それは痛切にやってきたのです。
インドの真価はここにある、と思えた瞬間でもありました。9泊10日を過ごしたウッタルカシ。北インドのアシュラムでも、高い波動の地であることを痛感しました。霊性の指導者にとどまらず、人びとの暮しの中に浸透する聖者を尊び神々を畏れ敬う心が山奥の山村にも、この国のいたるところにみちみちているのです。この国の人びと、一人一人がインドの霊的真価を支えている。出かけてみて気づいたことです。この地の大気や風やひとびとが醸しだすものとして、確かにあると。
2、ヴィヴェーカナンダの事お話しましょう。インドが西洋世界の物質文明の波に飲み込まれようとした時、真の独立へインドの歩むべき方向にしっかりと舵とりをした人物でした。インドがその尊厳を保ち世界の中で確たる地歩を占めていくために何が必要か、いち早く気づきました。インドの民族のなかにある宗教性、「霊性」こそがインドをインドたらしめているものであることに。
ラーマ・クリシュナから託された自らの使命はここにあるとの確信がヴィヴェーカナンダの中にやって来た。それは啓示でした。その確信に導かれたその後の生涯は「実践」の為に文字通り捧げられました。
導かれるようにして北米へ旅立つのです。カナダのバンクーバーに上陸、そこから先は陸路シカゴへ。折りしも宗教者の世界会議が開催される地へとです。全く無名の青年僧が一躍世界にその名を知らしめ、世界の宗教者たちの仲間入りを果たしました。その会議にヒンズー教の代表として発言の機会を与えられたのです。無名の若者の力強い、そして解り易いメッセージは彼の高潔さとともに宗教界の人びとの心を揺さぶりました。多くの参加者や聴衆たちの心を掴んだのです。アメリカ各地で講演の依頼がありました。インドを出たとき特別な目当てもなく、航海の途中所持していたお金もなくして、何も持たずアメリカに辿り着いた青年はこうして世界に飛躍するきっかけを手にしたのです。ニューヨークへ、アメリカの地で、続いてイギリスでも招かれて西洋世界に種を播くという息つく暇もないほどの勢力的活動がはじまりました。指導者たちを育て、彼らをインドに招き、さらに世界各地へと布教の為に送りだしたのです。真理を伝えるために。
こうして「ヴェーダ」の教えに基づく真の宗教、「真理は一つ」の理念を共有する平和と愛と調和の「宗教思想」は世界各地に伝えられました。ラーマ・クリシュナの霊的指導によって育まれた多くの若者たちの祈りが真理を求めての真摯な願いが、インドから世界へと発信され、インドを霊性の地として踏みとどまらせたと云えましょう。押し寄せる西洋化の波に抗して。後に《世界宗教》を提唱する「ヴェーダーンタ」協会の活動の礎ともなりました。
3、当時の若きヴィヴェーカナンダの生の声に触れてみましょう。熱き発言を以下に記します。
*「インドでは、宗教生活がその中心をなす。社会の改革は、その事がより霊的な生活をもたらすか?問われなければならない。政治は、それがどの程度民族の欲している唯一のもの、霊性を進歩させるかということ示したうえで説かれなければならない」。「何故なら各民族にある固有の主旋律、主たるテーマとともに人びとは生きているから。それが奪われた時、民族は死に至る」と。「この国の至るところに「霊的思想」を氾濫させねばならない」。熱き信仰と共に、若きヴィヴェーカナンダのこころの叫びがほとばしる表現ではありませんか。「霊的思想」を氾濫させよ!!
4、 繰り返しになりますが、近代化と称する物質文明の荒波を若き叡智ある人びとが食い止めたのです。ヴィヴェーカナンダを中心に。インドの霊性の高みを世界に知らしめると同時に、インド国内の人びと自身の意識に自覚と気づきをもたらしました。先端技術であるI・T社会でありながら、携わる人びとがより切実に求めているものは「精神世界のこと」。今も民族のこころの主旋律を奏で続けている「霊性」の波動は訪れる人びとのこころに確かに届いています。インドが多くの人の心を魅了してやまないのはこんな深い訳があったのですね。
【2】「瞑想」に始まり、「瞑想」へ。終わらない旅は今も続く。北インド、リシケシ、ウッタルカシにて。
1、ウッタルカシの二人のスワミより教えていただいたこと。「こころのこと、魂のこと」を語って下さったスワミ・プレマナンダジ。瞑想のご指導はラーマ・スワルパナンダジ。通称ラムちゃん。ラムジです。日本にも度々来訪され参加者の中に顔見知りも多く、小柄な人懐っこいお人柄でした。
A, 瞑想について、簡潔な言葉で示唆を与えてくださいました。
①Q:瞑想は何故必要か?
A:本当の自分に気づくために。
②Q:どのように座ったらよいか?
A:こころに無理強いをしない。
③Q:そのために「こころ」をどのように取り扱うべきか?
A:こころに協力してくれますように、願う。
A:からだに感謝する。瞑想に協力をしてくれますように。腕に脚に、全身に。
④Q:「こころ」のあり方は?
A:「こころ」は能動的でありすぎてもいけない。無気力でもいけない。
⑤Q:瞑想は特別な事ではない。何故?
A:日々のくらしの一こま一こまと同じ。自然に座りたくなるのを待ちましょう。
行住坐臥を瞑想と祈りとして行う。神さま、聖者、聖典から、そして
自分自身の祝福がなければ他の三つの祝福もないのですと。
⑥Q:瞑想を深める為に、心掛けたいこと?
A:瞑想は泉の源に辿り着こうとする作業。
⑦Q:何故?
A:神は遠くのどこかに存在するものではないから。
A:神は私達自身の「内」に存在するもの。掘り下げていく作業が求められている。
⑧Q:例えば?
A:大きな木の根の働きのように。地中深く、木々たちの根は水を求めてざわざわと
根の先端を震わせいのちの活動を続けている。瞑想も同じ。「根を深くおろす」こと。
⑨Q:こころに協力してもらうために?
A:心臓の働きのようであれ。「たった今」「たった今」を感じる。心臓はたった一つの
仕事をしているだけ。
⑩Q:アナハタの音の秘密?
A:拍動はつぶやき。マントラ「ソー・ハム」。呼吸に集中。
⑪Q:「ソー・ハム」の意味は?
A:「それは私」 「私はそれ」
⑫Q:ギヤナムドラーの意味?
A:智慧印、親指は「ソー」、人差し指「ハム」。
⑬Q:途中で眠くなったら?
A:目を開けて鼻の頭を見る。*集中力が高まります。
B,ジネンジのご指導も合わせてご紹介します。
①Q:より長時間座れるからだの調えかたは?
A:三次元の体。「たて」頭の上方に「天の音」をきく。高く、そして深く。
A:「つつ」アナハタの内腔を感じる。内肋間筋をかんじてひらこう。「まえ、うしろ」背後の
背中の音、それも遠くの音に耳を澄ます。さらに左右の重みは時どき移しかえていけ ばよい。
軸を中心にして右の重みから左の重みへ、逆もあり。つまり「2」を「1」へ。
*筒は太ければ太いほど良い!
*軸と云われるものは一つではない。その時どきのいのちの働きで変わるもの。自然体によ
りちかずく作業です。何故なら、瞑想も特別なことではないのだから。6時間、12時間と 座れる為に。
②Q:瞑想をおこなうときの「こころ」の在りかた?
A:瞑想の中にすべてを流し込む。流し込む。
A:「流し込む」マントラとしてつぶやいてみてください。集中が深まること請け合いです。
A:視神経の用い方に秘密あり!「鼻の頭」への集中も合わせて行いましょう。
③ジネンジのちらリズムの教え。秘中の秘がここにありました。
Q:それは何?
A:マントラをこころの中でつぶやく。尊敬する聖者や神の像をこころに描く。
対象が濃くなる、、、。自分の肉体意識が薄れる、、、。ハートの座に降りてゆく 事、、、。
う~む!!長く瞑想深めてきた実践者の体験から導かれた言葉でした。
視神経の行く先は、アナハタでした!
2、瞑想の学びの旅
Q:座ってみて感じた事は?
A:実感をお話したいと思います。「たて、まえうしろ、つつ」を感じてすわれたら、次に「堀り下げる」「流し込む」を行ってみました。「ソーハム」も然り。すべては集中すべき一点を指し示していることに気づかされました。
A:アナハタに降ろすこと。アナハタこそ真我の住まう場所。 「ソーハム」の意味にも気づかされました。
Q:視神経の用い方に秘密があった。何故集中が高まるのでしょうか?
A:ヴィヴェーカナンダは「ラージャヨガ」についての著書の中で、
「二つの視神経をコントロールすることがディアーナへの道」と。
*ガンガの流れとともに。岩の上で座ってみて思った事。ガンガの音が伝えているものの意味、それはまさしく「オーム」の音。これも正真正銘のことと知りました。聖者といわれる智慧ある人びとが私達に伝えていることでした。絶え間ないマントラの響きがこの地のバイブレーションの高さを支えている。スワミの存在とともに。
*瞑想への具体的な取り組み方を今回の旅は教えてくれました。インドから帰り、これからも瞑想とともに歩んでいくことを、2016年の新しい年の決意表明といたしまして、ひとまず終わらないおわりへ。より瞑想を深めたい方のために、お役に立てていただけましたら幸いです。
本年も宜しく御願いいたします!《平和への祈り》を捧げつつ。
木暮
1章、インドの真価を知る
2章、瞑想を学ぶたび。瞑想に始まり瞑想に終わる、生きる意味そのもの。
3章、「魂」や「こころ」がある意味。
【1】ベルルの僧院、ヴェーダーンタ協会の本部を訪ねて。西インド、バナラシそしてコルカタへ。
始めて訪ねたラーマ・クリシュナミッション。
1、インドの霊性の華、ラーマ・クリシュナのもとに多くの若者たちが集った。彼らの真理探究への強烈な願いと師ラーマ・クリシュナへの熱烈な帰依が、師なき後、ヴィヴェーカナンダを中心に弟子達のこころを一つに結びつけました。師の祝福により与えられた啓示を拠り所とし、出家者として生きる道を選択した弟子たちの揺るぎない修行がはじまりました。「ベルルの僧院」にて、「ラーマ・クリシュナ僧院」はこうして始まったのです。
その時から、百年以上の月日が経過。ですがこの地には確かに存在しています。たった今も。何がでしょうか。ラーマ・クリシュナの霊的波動、魂がこの地のいたる所に存在し、大気がその思いに振動し続けている。足元の踏む石や砂粒の一つ一つにも、ラーマ・クリシュナの切ないまでの究極の真理に至ろうとするねがいと愛が浸みわたる。はだしの足裏から、それは痛切にやってきたのです。
インドの真価はここにある、と思えた瞬間でもありました。9泊10日を過ごしたウッタルカシ。北インドのアシュラムでも、高い波動の地であることを痛感しました。霊性の指導者にとどまらず、人びとの暮しの中に浸透する聖者を尊び神々を畏れ敬う心が山奥の山村にも、この国のいたるところにみちみちているのです。この国の人びと、一人一人がインドの霊的真価を支えている。出かけてみて気づいたことです。この地の大気や風やひとびとが醸しだすものとして、確かにあると。
2、ヴィヴェーカナンダの事お話しましょう。インドが西洋世界の物質文明の波に飲み込まれようとした時、真の独立へインドの歩むべき方向にしっかりと舵とりをした人物でした。インドがその尊厳を保ち世界の中で確たる地歩を占めていくために何が必要か、いち早く気づきました。インドの民族のなかにある宗教性、「霊性」こそがインドをインドたらしめているものであることに。
ラーマ・クリシュナから託された自らの使命はここにあるとの確信がヴィヴェーカナンダの中にやって来た。それは啓示でした。その確信に導かれたその後の生涯は「実践」の為に文字通り捧げられました。
導かれるようにして北米へ旅立つのです。カナダのバンクーバーに上陸、そこから先は陸路シカゴへ。折りしも宗教者の世界会議が開催される地へとです。全く無名の青年僧が一躍世界にその名を知らしめ、世界の宗教者たちの仲間入りを果たしました。その会議にヒンズー教の代表として発言の機会を与えられたのです。無名の若者の力強い、そして解り易いメッセージは彼の高潔さとともに宗教界の人びとの心を揺さぶりました。多くの参加者や聴衆たちの心を掴んだのです。アメリカ各地で講演の依頼がありました。インドを出たとき特別な目当てもなく、航海の途中所持していたお金もなくして、何も持たずアメリカに辿り着いた青年はこうして世界に飛躍するきっかけを手にしたのです。ニューヨークへ、アメリカの地で、続いてイギリスでも招かれて西洋世界に種を播くという息つく暇もないほどの勢力的活動がはじまりました。指導者たちを育て、彼らをインドに招き、さらに世界各地へと布教の為に送りだしたのです。真理を伝えるために。
こうして「ヴェーダ」の教えに基づく真の宗教、「真理は一つ」の理念を共有する平和と愛と調和の「宗教思想」は世界各地に伝えられました。ラーマ・クリシュナの霊的指導によって育まれた多くの若者たちの祈りが真理を求めての真摯な願いが、インドから世界へと発信され、インドを霊性の地として踏みとどまらせたと云えましょう。押し寄せる西洋化の波に抗して。後に《世界宗教》を提唱する「ヴェーダーンタ」協会の活動の礎ともなりました。
3、当時の若きヴィヴェーカナンダの生の声に触れてみましょう。熱き発言を以下に記します。
*「インドでは、宗教生活がその中心をなす。社会の改革は、その事がより霊的な生活をもたらすか?問われなければならない。政治は、それがどの程度民族の欲している唯一のもの、霊性を進歩させるかということ示したうえで説かれなければならない」。「何故なら各民族にある固有の主旋律、主たるテーマとともに人びとは生きているから。それが奪われた時、民族は死に至る」と。「この国の至るところに「霊的思想」を氾濫させねばならない」。熱き信仰と共に、若きヴィヴェーカナンダのこころの叫びがほとばしる表現ではありませんか。「霊的思想」を氾濫させよ!!
4、 繰り返しになりますが、近代化と称する物質文明の荒波を若き叡智ある人びとが食い止めたのです。ヴィヴェーカナンダを中心に。インドの霊性の高みを世界に知らしめると同時に、インド国内の人びと自身の意識に自覚と気づきをもたらしました。先端技術であるI・T社会でありながら、携わる人びとがより切実に求めているものは「精神世界のこと」。今も民族のこころの主旋律を奏で続けている「霊性」の波動は訪れる人びとのこころに確かに届いています。インドが多くの人の心を魅了してやまないのはこんな深い訳があったのですね。
【2】「瞑想」に始まり、「瞑想」へ。終わらない旅は今も続く。北インド、リシケシ、ウッタルカシにて。
1、ウッタルカシの二人のスワミより教えていただいたこと。「こころのこと、魂のこと」を語って下さったスワミ・プレマナンダジ。瞑想のご指導はラーマ・スワルパナンダジ。通称ラムちゃん。ラムジです。日本にも度々来訪され参加者の中に顔見知りも多く、小柄な人懐っこいお人柄でした。
A, 瞑想について、簡潔な言葉で示唆を与えてくださいました。
①Q:瞑想は何故必要か?
A:本当の自分に気づくために。
②Q:どのように座ったらよいか?
A:こころに無理強いをしない。
③Q:そのために「こころ」をどのように取り扱うべきか?
A:こころに協力してくれますように、願う。
A:からだに感謝する。瞑想に協力をしてくれますように。腕に脚に、全身に。
④Q:「こころ」のあり方は?
A:「こころ」は能動的でありすぎてもいけない。無気力でもいけない。
⑤Q:瞑想は特別な事ではない。何故?
A:日々のくらしの一こま一こまと同じ。自然に座りたくなるのを待ちましょう。
行住坐臥を瞑想と祈りとして行う。神さま、聖者、聖典から、そして
自分自身の祝福がなければ他の三つの祝福もないのですと。
⑥Q:瞑想を深める為に、心掛けたいこと?
A:瞑想は泉の源に辿り着こうとする作業。
⑦Q:何故?
A:神は遠くのどこかに存在するものではないから。
A:神は私達自身の「内」に存在するもの。掘り下げていく作業が求められている。
⑧Q:例えば?
A:大きな木の根の働きのように。地中深く、木々たちの根は水を求めてざわざわと
根の先端を震わせいのちの活動を続けている。瞑想も同じ。「根を深くおろす」こと。
⑨Q:こころに協力してもらうために?
A:心臓の働きのようであれ。「たった今」「たった今」を感じる。心臓はたった一つの
仕事をしているだけ。
⑩Q:アナハタの音の秘密?
A:拍動はつぶやき。マントラ「ソー・ハム」。呼吸に集中。
⑪Q:「ソー・ハム」の意味は?
A:「それは私」 「私はそれ」
⑫Q:ギヤナムドラーの意味?
A:智慧印、親指は「ソー」、人差し指「ハム」。
⑬Q:途中で眠くなったら?
A:目を開けて鼻の頭を見る。*集中力が高まります。
B,ジネンジのご指導も合わせてご紹介します。
①Q:より長時間座れるからだの調えかたは?
A:三次元の体。「たて」頭の上方に「天の音」をきく。高く、そして深く。
A:「つつ」アナハタの内腔を感じる。内肋間筋をかんじてひらこう。「まえ、うしろ」背後の
背中の音、それも遠くの音に耳を澄ます。さらに左右の重みは時どき移しかえていけ ばよい。
軸を中心にして右の重みから左の重みへ、逆もあり。つまり「2」を「1」へ。
*筒は太ければ太いほど良い!
*軸と云われるものは一つではない。その時どきのいのちの働きで変わるもの。自然体によ
りちかずく作業です。何故なら、瞑想も特別なことではないのだから。6時間、12時間と 座れる為に。
②Q:瞑想をおこなうときの「こころ」の在りかた?
A:瞑想の中にすべてを流し込む。流し込む。
A:「流し込む」マントラとしてつぶやいてみてください。集中が深まること請け合いです。
A:視神経の用い方に秘密あり!「鼻の頭」への集中も合わせて行いましょう。
③ジネンジのちらリズムの教え。秘中の秘がここにありました。
Q:それは何?
A:マントラをこころの中でつぶやく。尊敬する聖者や神の像をこころに描く。
対象が濃くなる、、、。自分の肉体意識が薄れる、、、。ハートの座に降りてゆく 事、、、。
う~む!!長く瞑想深めてきた実践者の体験から導かれた言葉でした。
視神経の行く先は、アナハタでした!
2、瞑想の学びの旅
Q:座ってみて感じた事は?
A:実感をお話したいと思います。「たて、まえうしろ、つつ」を感じてすわれたら、次に「堀り下げる」「流し込む」を行ってみました。「ソーハム」も然り。すべては集中すべき一点を指し示していることに気づかされました。
A:アナハタに降ろすこと。アナハタこそ真我の住まう場所。 「ソーハム」の意味にも気づかされました。
Q:視神経の用い方に秘密があった。何故集中が高まるのでしょうか?
A:ヴィヴェーカナンダは「ラージャヨガ」についての著書の中で、
「二つの視神経をコントロールすることがディアーナへの道」と。
*ガンガの流れとともに。岩の上で座ってみて思った事。ガンガの音が伝えているものの意味、それはまさしく「オーム」の音。これも正真正銘のことと知りました。聖者といわれる智慧ある人びとが私達に伝えていることでした。絶え間ないマントラの響きがこの地のバイブレーションの高さを支えている。スワミの存在とともに。
*瞑想への具体的な取り組み方を今回の旅は教えてくれました。インドから帰り、これからも瞑想とともに歩んでいくことを、2016年の新しい年の決意表明といたしまして、ひとまず終わらないおわりへ。より瞑想を深めたい方のために、お役に立てていただけましたら幸いです。
本年も宜しく御願いいたします!《平和への祈り》を捧げつつ。
木暮